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Work style=Life style!

1年フリカエリ「3人の子供との3度目ノ起業」       〜その1「起業二至るマデ」〜

今年を振り返ると、我ながら「人生」の決断の年だった。

昨年12月に、今年4月で起業支援会社を退職することが決まり、1月から3月の間に次の身の振り方を考えなければならなかった。

東京に出てきてちょうど10年が過ぎていた。

10年前に大阪から出てくる時、「10年後はアメリカに行く」と何の根拠もなく自身で頭に描いてたことを思い出した。

そうだ、おれは世界で勝負したかったんだ!ちっちゃな日本だけしか知らないのはもったいない。何より僕も周りも健康元気なので何でもやれる。

滋賀県で産まれて、石川県→京都→大阪→東京(茅ヶ崎在住)と根無し草的に動いてきたがまだまだ物足りない。何が物足りない?知らない世界が多すぎる。もっともっと、知りたいのだ。体験したいのだ。1億人→60億人に触れたいのだ。

ビジネスとして世界にでるのに選択肢は2つ。外資系企業に勤めるか、グローバルなサービスで起業するか。

本命は起業だ。2度の起業後、起業支援会社に約4年いた。そこで初めて「MISSION」とかVISION」という言葉に触れた。それまでの3年の起業・経営時代は恥ずかしながら、起業=儲ける、儲かるという軸だけだった。少しは起業することについて師の一人でもある吉田雅紀氏を通して賢くなっていた(結果的には賢くなっていた部分はわずかだったが。)

しかし次のSTEPに起業の選択を選ぶには、3つの「十字架」を背負っていた。

  1. 子供が3人(しかも3人目は生まれたばかり)
  2. 家のローン
  3. 本気でやりたいことがない(人生の目的が定まってない)

となると外資系企業に勤めるとう選択肢を見ていた。サラリー時代〜1度目の起業で通信販売のマーチャンダイジング(商品企画)やカスタマーセンターのSV(スーパーバイザー)をやってきたので、ちょうど募集の出ているamazonは世界にも行けそうだしぴったりだ!(英語についてまあ置いておいて)

しかし、待てよと。この選択、本当にやりたいかと。世界へ行くための手段としてはいいが、以外の部分では仕方なく選んでないか?3つのハードルの処理を優先的に考えていないか、、と。

そうじゃないよね。

37歳の自分はこれからどうしたいのか?いやどう生きたいのか?どう人類や地球に対して役立ちたいのか?

お正月に嫁子供は大阪に帰って、一人でお正月に本と紙と鉛筆を前にゆっくりと気持ちを落ち着かせて考えていた。

沢山の本を一気に読んだ。そういえば、小学校時代は家にTVがなくて、本とラジオで過ごしていたので普段あまり読んでなくても一気に読み込むことができるのは親に感謝だ。

 そこで「SHARE」という書籍に出会った。ショックを受けた。

 これは世界のライフスタイルだけでなく、ワークタイルも変えるなと。そしてなによりサスティナブルだ。人類にも地球にも優しい。

この世界で自分で事業をやるとすればどの分野だ?どの分野ならオレは勝負できるのか?いや世界でお役に立てるのか?

他でもない、中川りょうという人間が、これからの人生をかけて解決すべき問題は何なんだと!

胸が熱くなった。37歳で情熱が滲み出てきた。興奮してきた。そこで改めて3つの「十字架」を見てみた。

  1. 子供が3人          →最低限の収入と環境、何より親父がイキイキと働く姿を見せる
  2. 家のローン          →売ればいい(もう持ち家へのモチベーションは完全に失せた)
  3. 本気やりたいことがない    →シェアサービスだよ!後は何をシェアするかだ、どう収益にするかだ

背負っている重々しい「十字架」は、十字架でなくなった。むしろ働くモチベーションではないか!

37歳、若い起業家にはない「10年の事業経験」と「生々しいモチベーション」を持って3度目チャレンジだ!これがあれば多少のことでは挫けない。

さて、少し冷静になり事業計画書を書き始めた。事業計画書というか企画書だった。5枚くらい書いた。

シェアする素材は「オフィス」に決めた。理由は、

  1. シェアオフィス(レンタルオフィス)事業を0から立ち上げ、4年運営してきた →マーケットに精通している(国内だけだけど)
  2. 世界ではまだまだここは隙間がある→ハウスシェアには「airbnb」という完成されつつあるサービスがあるがオフィスにはない)
  3. オフィスシェアは人の出会いを産む→ビジネスマッチングというプライスレスな価値があり奥が深く、人の出会いへの要求は限りない。何よりこれからのワークスタイルは大きく変わる、そのなかで必要なサービスだ

つまり、経験がある、未開拓な市場だ、人が絡むのでお金が大きく動く。と判断したのだ。

(Leanstartupで1年後の今、和波さんサポートのもとInterviewを行っている中で言うと、大きな部分が抜けていた。ここについては後日書こう)

5枚の企画書が正月の間に完成した。オフィスシェアリングでアメリカへいこう!

サムライインキュベートの榊原さんと2年ぶりにアポとった。榊原さんは同学年だが尊敬していた。何もないところから多くの価値を生み出している。

何よりスローガンである「できるできないでなく、やるかやらないかで世界を変える」にはぐっとくるものがある。浪漫すら感じる。

榊原さんは30分のプレゼンで出資を決めてくれた。帰り際、興奮×興奮の中でこの人だけは裏切らない、いや恩返ししないと、と思った。

事業を始める準備は整った。ヒト(オレ)、モノ(シェアサービス)、カネ(出資)。

嫁も応援してくれている。そう、そうだ、嫁は結婚、妊娠の中、1社目を起業したときも、今も反対したことは1度もなかった。いつも笑顔で

「やってみれば?」と。オレが逆の立場と子供3人抱えて言えるだろうか?蓄えも、、ない。

言えない。オレだったら言えない。嫁あっての中川りょうだということを改めて気付かされる。

子供を育てる女性は、起業家、事業家よりずっと偉大だと思う。

今日は2011年最後の日。

これから師の一人でもある吉田雅紀氏の家での忘年会。それまで仕事シコシコ、TULLYS@河原町でこのブログを書いてる。意外に長くなったので起業スタートからの話は改めて書こう。

京都の冬の寒さはココロも引き締めてくれる。さあ、来年は世界に出れるだろうか・・・?